底辺腐女子が地雷レッテル貼りをされてPTSDになった話

底辺腐女子がメンヘラになった話を書いています。

底辺腐女子が地雷レッテル貼りをされてPTSDになった話(8)

【このブログは、二次創作同人作家から突然、地雷レッテル貼りをされてイジメ行為を受け、まともな二次創作活動ができなくなってしまった、底辺の腐女子の訴えのブログです】

 はじめに1点、お断りを入れます。

 本事案「腐女子いじめ」の舞台は、たまたま人気コミック・アニメである「鬼/滅/の/刃」の二次創作をする人々の中でおきましたが、公式作品には一切、関係のない話です。

 

二次創作をしている人々の中で起きる、同人作家などによる腐女子いじめは、ジャンル問わず発生するものです。

本ブログでは、腐女子いじめ】【地雷レッテル貼り】を「鬼/滅/の/刃」の二次創作界隈に限らない問題として取り扱っていきます。

 

本来、二次創作はファンアートでありながら、アンダーグラウンド、グレーゾーンの側面を持つ趣味です。そのため、表にでないことが暗黙のルールになっておりますが、そちらはあえて破ります。

ルールを守っていては永遠に「閉鎖空間内での逃げ場のないイジメ行為」がなくならないからです。

 

前回のブログ「底辺腐女子が地雷レッテル貼りをされてPTSDになった話(7)」で、チモッティーがどのように二次創作活動を12年ぶりに再開し、地雷レッテルを貼られて、腐アカウントから離脱しなければならなくなったかを書きました。

今回は、地雷レッテルを貼られた背景を説明します。

「いじめ」の構造がそこにあったことを、知ってもらいたいからです。

 

多くの「いじめ」問題は、閉鎖的なコミュニティーで発生します。

・学校の教室

・同じゲームをする仲間

・閉鎖的な地域的のコミュニティー

・サークル内

・PTAの委員会内

・ママ友グループ

・パート仲間間

・閉鎖的な職場

 

そこに「・腐女子コミュニティー(二次創作BL)」を加えてください。

イジメの発生頻度は、ママ友グループ並みに高いと認識していただきたい。

 

今回、腐女子コミュニティー(二次創作BL)において起きた「いじめ」の事案は下記のような嫌がらせ行為が、私、チモッティーに対して、ありました。

 

・嗜好性を言い訳にして一方的に「地雷」とレッテルを貼る

→ 一般の方に分かりやすく説明すると、地雷レッテル貼りは、いわゆる「ばい菌」レッテル貼りと全く同じものです。そこに根拠は実はありません。

何となく穢れて感じるとか、他の人の作品傾向が違うとか、群れていないとか、いじめ常習者に目をつけられてしまうと始まってしまうのです。

 

・他の目立つ影響力の大きい書き手(小説)、描き手(漫画、イラスト)をとりこみ、仲間外れを演出する。

→ よくある小学生女子や、職場の女子集団で行われる手口ですね。擦り寄られる側は迷惑に感じていても、強い拒絶ができなかったりする。結果、加害者意識をもつこともなく、加害者側に加担してしまいます。

 

・確実に自分よりも弱いものしか狙わない。反撃してきても撃退できそうな個人や層しか狙わない

 

今回は、さらにそこに下記が加わりました。

 

・イジメ現場となったBLカップリングの民が増えないのは、このような傾向の作品群のせいであるという論調

 

ものすごい、苦痛でした。 せめて、名指しをしていただきたかった。

明らかにチモッティーへの文句が、ずらずらと吐き出されてくるのに、そこには他の書き手の方の作品も含まれてしまうのです。

 

ぎゆ/むらコミュニティーの方々は、大人の方が多く、良識のある方が非常に多かった。空転氏のツイートが繰り出されるたびに動揺は広がり、ブロックする人が続出し、平和だったマイナーカップリングのコミュニティーの空気は一気に不穏になりました。

多くの方が、慰めてくれたり、ありえない!と怒ってくれました。

でも、私はそれは何かが違うと思いました。本人あのままでいいのか?と思いました。

 

そして、チモッティーの立場は、ものすごく微妙なものだったのです。

チモッティーは超マイナーBLカップリング(村/善)のボッチ教祖です。実質、作品を公開している書き手は、ほとんどいないのです。

 

図を描いてみました

(何のためにイラレを使ったのか分からないWordでよかったじゃん?という図)

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図を見たら、分かると思いますが、チモッティーは勢力構成図にすら入ることのない、おひとりさま王国の人です。ですから、交流してくれる方の9割が、ぎゆ/むらの民という状態でした。

 

そんな状態で、義/炭で大手作家だった空転氏が、村/善のチモッティー(ガチのボッチ)に向かって、連日、暴言ツイートを飛ばしてくるわけです。

 

地獄です。

仲のいい人たちがいる、コミュニティーの、ど真ん中から、連日消えろって声高に喧伝される苦痛を理解できますか?

お前がいるから、お前の汚い作品があるから、こっちのBLカップリングが増えない、地雷、いらないと垂れ流される苦痛、想像できますか?

 

想像、絶するでしょう? ものすごいダメージを受けました。

そこに加えて私は。

白血病サバイバーの子どもを抱えて12年間、創作活動が出来ておらず、やっと創作を再開して、まだ、たったの半年だったのです。

 

空転氏は実に手慣れていました。 いじめ常習犯です。

今までも他に被害者を出して、筆を折らせているはずです。

 

彼女のいじめの常套手段はこうです。

1)暴言ツイートを流す

 ↓

2)相手が気分を害す、潰れる  or 反論してくる

 ↓

3)反論を受けたり、ブロックされると空転氏は大騒ぎします。「またブロックされた!」「私は何もしてないのに酷い!」「気に食わないからだ!」(←それお前だから、先に攻撃してるのお前だからと見ている人は全員分かってはいる)

 

4)被害者は、スルーするか、そのカテゴリを去るかしかない

 ↓

5)さすがに酷いので、注意の意見が来る

 ↓

6)空転氏は、何もなかったかのように加害ツイートだけ消す 何食わぬ顔をして居座り続ける。絶対に謝らない。

 

この繰り返しです。

 

すごいですね、THEいじめっ子です。

これを見ている聴衆は、実際は全員ドン引きしてるんですよ?

でも、まずもって意見しても、「ひどい!」「地雷を地雷って言っただけ!」「私は自分の気持ちを呟いちゃいけないの!?」「アンチだ!」とブロックされるだけです。

全く、聞く耳は持ちません。無理です。

マシュマロでの意見は、相当もらっているはずですが、彼女の中では焼マシュマロ判定で終了ですし、余計に認知のゆがみを悪化させますから、マシュマロでの意見を送るのは事態の悪化しか招きません。

 

チモッティーは分かっていました。

腐女子の輪の中から反撃しても、あいつには全く効果がないと。さらに踏みつけられ嘲笑われるだけだと。

 

ですから、別アカウントを建てました。

そこで、1年でも2年でも呪いの言葉を吐いてやるためにです。

建てる前に一応、5ちゃんねるの同人ヲチ板を見に行きました。

案の定、ヲチされてました。

そりゃそうだ、かなりの秀逸な香ばしさですからね。

 

チモッティーは、あらゆる「いじめ」「ハラスメント」などに対して、泣き寝入りを一度もしたことがありません。

毎回、3倍~300倍の攻撃力をもって、反撃します。

 

幼少期からです。

そして外資で働いた約8年間、現在も6年目を迎える教育機関での仕事。

どちらもコンプライアンスに関わる仕事が多く、法務的なシーンに関わることもありますので、ハラスメント行為に対して私は、きわめて厳しい感覚を有しています。

 

なので、今回も譲る気は、全くなかったです。

ただ、本人から描くことを奪うまでする気もなければ、ぎゆ/むらというカップリングの隆盛を願っていたので、様子を見ながら反撃を開始しました。

 

チモッティーの、いじめ反撃方式のおおまかな流れはこうです。

 

1)

いじめが発生したら3日で判断しろ

それ以上は戦略的撤退をせよ

心身を破壊されて殺されてしまう前に、コミュニティーから離脱せよ

証拠を押さえれるならば、全て持っていけ

反撃の用意をせよ

 

2)

ありとあらゆる手段を使って、いじめ主犯者に3倍の力で一撃入れろ

さらなる報復や2次被害に備えよ

 

3)

心身を癒し、自身の生活を取り戻せ

報復や2次、3次被害に備えて法的な対処、あるいは情報戦を制せ

 

この基本方針は変わりません。

このブログは、来るべき3次、4次被害に備えた布陣でもあります。

 

次回は、どのように反撃をしていったのか

PTSDの具体的な症状が、どれだけ酷かったのかを記したいと思います。

 

 

なお、空転氏は。

これだけ名指しで私から晒されているので、法テラスに相談に行かれるのを、強くお勧めします。

ぜひ、弁護士の先生に、何があってチモッティーから10か月以上もSNS上で攻撃されているのか、説明なさるとよいです。

まともな先生は、きっと眉間に皺をよせると思いますがね。

 

「私は、何もしていないです 好きじゃない作品があるって呟いただけです」

(ええ、そうですね、死ね消えろと同義でしたけどね)

 

「それにもう、ツイートもアカウントも消しました」

(証拠隠滅済み! チモッティーは吐いててスクショとる余裕もなかったです)

 

「なのに、止めてくれないんです」

(空転氏がアカウント削除した後、一部の腐女子がチモッティー酷いって2次被害を垂れ流しましたから止めれなくなりました。完全なる全世界公開いじめプレイ乙!

 

大丈夫! 引き受けてくれる先生はいますよ!

なんといっても、チモッティー側は、明確に名指しされたわけでもないし、空転氏は悪行の数々を全部、削除済み。(全部、分かってて、やってるでしょう。悪意を持って、ここまでなら大丈夫って、いじめプレイを毎回、楽しんでますよね!)

 

残っているのは、リアルタイムで酷かったいじめプレイを見ていた数百人以上の記憶。

ヲチ板の書き込み、そしてチモッティーの執念の10か月分の愚痴ツイート1万くらいですね。

 

ですから、引き受けてくれる先生さえ見つければ、空転氏はチモッティーに法廷で勝つことが可能です。

必ず勝てます!

 

全てを納得の上で受けてくれる先生は必ずいます。

法律事務所を7件くらい回れば、引き受けてくださる方が、かならずいますよ。

金さえ払えば。

こっちは訴状が来てから、弁護士を頼むか決めますので、訴状、お待ちしております。

 

勝てますよ。

勝ってチモッティーから、お金をとれますよ。

弁護士費用もそこから捻出できますよ。

いいじゃないですか、実行すれば。

 

素敵ですね、新しい訴訟ビジネスだ。

 

1)腐女子コミュニティーで、いじめるターゲットを決めていじめる

 ↓

2)相手が消えたら、ラッキー! 名指しで反撃してきたら 法テラスへ!

 ↓

3)傷付いたアテクシ、お金とってやった 大勝利!

 

なんて、名付ければいいですかね。 美人局じゃないし、後妻業でもない。実に新しいカツアゲですね!

いいですね!

いじめはいいことづくめだ!!

人間やめてるけどな!

 

腐女子いじめ訴訟ビジネスの名称募集中! です。

 

 

 

【トラブル当事者情報】

・イジメ被害を受けた人

チモッティー

Twitterアカウント

日常アカウント https://twitter.com/negative_chimo

腐女子用落書きアカウント https://twitter.com/chimochimo_raku

pixivアカウント https://www.pixiv.net/users/4878483

腐女子用アカウントは見ると嘔吐してしまうため一時的に鍵をかけています

 たまに落書きを投下していますが、あまり動きはありません

 フォロー申請いただければ気付き次第、対応しています。

 

・イジメ行為を行った人(一応、敬称をつけます)

空転氏

Twitterアカウント

メインアカウント 

https://twitter.com/iswimingyoursea

https://twitter.com/wcswimseaman

 https://twitter.com/swimsea

ぎゆ/むら作品投下用 https://twitter.com/gymrbot

pixivアカウント 

https://www.pixiv.net/users/732907

底辺腐女子が地雷レッテル貼りをされてPTSDになった話(7)

【このブログは、二次創作同人作家から突然、地雷レッテル貼りをされてイジメ行為を受け、まともな二次創作活動ができなくなってしまった、底辺の腐女子の訴えのブログです】

 

こんにちは。 隔週で土曜出勤のチモッティーですが本日は土曜休みです。

やっとこのブログタイトルの内容が始まります。

はじめに1点、お断りを入れます。

 

本事案「腐女子いじめ」の舞台は、たまたま人気コミック・アニメである「鬼/滅/の/刃」の二次創作をする人々の中でおきましたが、公式作品には一切、関係のない話です。

 

二次創作をしている人々の中で起きる、同人作家などによる腐女子いじめは、ジャンル問わず発生するものです。

本ブログでは、腐女子いじめ】【地雷レッテル貼り】を「鬼/滅/の/刃」の二次創作界隈に限らない問題として取り扱っていきます。

 

本来、二次創作はファンアートでありながら、アンダーグラウンド、グレーゾーンの側面を持つ趣味です。そのため、表にでないことが暗黙のルールになっておりますが、そちらはあえて破ります。

ルールを守っていては永遠に「閉鎖空間内での逃げ場のないイジメ行為」がなくならないからです。

 

前回のブログ「底辺腐女子が地雷レッテル貼りをされてPTSDになった話(6)」まで、チモッティーが12年間も何故、漫画を描くことができなくなっていたかを説明させていただきました。

今回はまず、チモッティーがどのように創作活動を再開したかを追っていきます。

 

2020年2月1日(土) チモッティーの息子、白血病の完全寛解を告げられる

2020年2月4日(火)

漫画を描くには、まだリハビリが必要。だけど、作文は書けそう。そう思ったチモッティーは、それまでコソコソと読み専をしていた「鬼/滅/の/刃」で、二次創作を久しぶりにすることにしました。「鬼/滅/の/刃」では主に好んで、炭/善と宇/善と獪/善を読む人です(超雑食なので何でも読みますし、仲良くしてくれて頼まれたら何でも描きますし、普通にモブ君たちの戦闘漫画「Boar and John Does.」/「ちもちも」のシリーズ [pixiv]も描いてますし、NL作品も描きます)

チモッティーはモブの鑑とされる、村田さん(目立つ脇役)に夢中でした。(今も)

 

そして、これはチモッティーの性癖なのですが。

どのジャンルでも、高確率で・・・というか、いつも

前人未踏0件カップリングで二次創作してしまう人です

 

そんなわけでチモッティーは 今回も懲りずに前人未踏0件カップリングで創作をすることになりました。(気付いたら始めているので狙っているのではなく、原作を見てピン!ときたら開始しますので本気で性癖です・・・)

村/善の小説の執筆を開始し、のちに100話まで続く、現代パロディ(大正時代も語られる転生もの)を書くことになったのです→「100年越しの無自覚」/「ちもちも」のシリーズ [pixiv]

 

書き始めるにあたって、面白いものを書きたい、という欲求を最優先にしました。

そして、最初から結末は決まっていましたので、そこに向けてエピソードもいくつか、あらかじめ用意していましたが、勢いでギャグ表現等も、かなり入りましたし、敢えてエロもいれて、複数BLカップリングを混ぜ込む手法を取りました。

 

これは全100話を読破した方にしか分からないのですが、メインのBLカップリング(村/善)が、とことんプラトニックな状態で話が進むようにしてあったからです。

そのためセクシャルな性愛と、そこにたどり着かないプラトニックな関係を貫くメインカップリングとの対比を描くチャレンジをしていました。

そこそこ、うまく機能したのではないかな、と思っています。

非常にこう、色物としか言いようのない作文ではあるのですが、思い入れの強い作品です。

本当は、漫画で描きたかったんです。でも12年もろくに絵を描いていない者が簡単に描けるはずもなく。 でも小説にしかできない表現もたくさんあると知りましたし、とても楽しく創作することが出来ました。

 

チモッティーは実質、過去にSSしか書いたことがなく、小説はこの100話が処女作と言っていいものです。

超色物で女体化してるし、100話もあるにも関わらず、読んで感想をくださる方もいて、大変ありがたいです。 完走&感想ありがとうございます、と毎回思います。

 

その長い長い小説の中では複数のBLカップリングが交錯します。執筆中はまだ、腐滅の刃のBLカップリングのひとつである、ぎゆ/むらも書いておられる方が少なく、小さな交流をしながら100話まで書ききりました。

私としては、推しキャラを描くにあたり、ぎゆ/むらは実は、内面的にはメインカップルと言っていいくらい大事な位置になります。

私は表面上は、村/善の教祖状態ですが、内面的には実は、ぎゆ/むらの人なんです。

 

そうして、小さな交流もあり、今まで避けていたTwitterで少し動くことにしました。

チモッティーは昔、WEBの仕事をしていたこともあり、オープンSNSなんてリスキーだし、仕事でもなきゃ、やりたくないわって人でしたが、勇気を出して読み専アカウントを創作用として動かすことにしました。

 

実に楽しかったです。村田さんアンソロジーに寄稿させていただいたり、萌えトークをさせていただいたり。はじっこで。

 

そして私は自らが、とんでもなく色物と知っていました。

何でも描く上に前人未踏0件カップリングの教祖です。しかも村/善って、そのままツイートしようものなら、普通に飲食店の名称にあったりするので、ハッシュタグもつけられないので、手詰まり感がありました(笑)。

でも、それでも全然かまわなかった。布教中と言いながら、全然、私は村/善を本気では布教していなかった。

それは、大昔に何度も前人未踏0件カップリングの中心部に位置し、人数が増えてきた後の厄介さが身に染みていたからです。実力もないのに壁サークルになり、悪目立ちしての炎上を経験していたからです。

急成長は必要ない。細く長く、地味に目立たず、ただ愛情をこめて描いていたい。

そういう活動を今回は目指していたのです。

 

そうして、遠慮しながらWEBアンソロジーに寄稿させていただいたり、小さく皆様と交流させていただく幸せな時間を過ごしていました。

同時に漫画を描くリハビリを進めていきました。8月上旬にはだいぶ、勘を取り戻してきていました。

そして、私が腐女子いじめに遭う前に描いた最後の作品がこちらです

#村田(鬼滅の刃) Green Sleeves - ちもちものマンガ - pixiv

 

この作品のあとも、根性で漫画や小説を描き続けてはいますが、ずっと吐きながら描いています。 どのようないじめがあったのかを述べます。

 

 

2020年8月上旬 空転氏、義/炭から、ぎゆ/むらにカップリング移動開始

 

つながりたいハッシュタグをつけて、華やかな描き手さんが現れたので、私は正直、羨ましかった。皆が繋がっていくのを実に羨ましく眺めておりました。

「わぁ~ 素敵な描き手さんが来てくれて盛り上がるね、良かったねぇ!」とマジで思ってました。

 

何故、遠慮したのかというと、私は色物作家なので、ご本人にとって地雷かもしれぬから、そっとファンになろうなどと、思っていたのです。

(結局、この勘と遠慮は大正解だったわけですが)

 

8月中旬、私は少々、体調を崩していました。治らない腰痛、下腹部痛、飛び出してくる下腹に「子宮筋腫が大きくなりすぎたかな」ということで、観念して内科から婦人科を紹介してもらうことにしました。当日のうちに超音波検査などをしてもらい、おそらく子宮腺筋症だろうという話にはなっていました。

 

かなり体調は悪かったです。 ちょっと腐アカウントは休み休みにしないと無理だな、体調悪いときに動かしちゃあかんもんじゃなからな、などと思いつつ、でも休む前に、もうちょっと皆様と仲良くしておきたいなあ、などと。

少しは引っ込み思案を治しておこうかなあ、などと。

考えてしまったのが、良くなかったですかね。

 

でも、仲良くしたかったんです。 そして、作品を拝見させていただきたかった。

村田さん受け同士のご近所付き合いくらいは、ひっそり、よそよしくできるであろうと思っていたのです。大人同士だし。

そこで初めて、空転氏のアカウントをフォローしたわけです。

 

まさか、そこで。

ドンピシャで、いらない作品群として私の書いた小説の条件ばかりツイートされているとは思わずに。

 

空転氏の呟きを要約するとこうです。

・他カプ混在が邪魔、いらない

・ぎゆ/むらが増えるのを阻害している

・地雷消えろ

 

pixiv上での、ぎゆ/むらの小説は2020年8~9月当時で200作品ほどありました。

私の書いた小説で、ぎゆ/むらタグがついているのが70作品以上ありました。

 

うざいくらい作品数が多くて申し訳ない。私は、その事実を5月段階から実は悩んでました。いっそタグを、ぎゅむら にしようとかまで思って気にして、結局、枯れ木も山の賑わいだし、ぎゆ/むらが一大カップリングに成長するまでは、このままにしとこうと決めていた。

 

だから、ぎゆ/むらタグが、他のカップリングタグと混ざってるのが許せないとかツイートされたら、死にたくなるくらい、ショックだった。

ご意見ごもっともですが、消せばいいんですか?となりました。

 

空転氏の暴言は、ものすごかったです。

それも、せめて、チモッティーを名指ししてくれればいいのに、わざとボヤかして、他の書き手さんの小説まで巻き添えにして、貶めまくってました。

 

本当に酷かったんです。リアルタイムで見ていた人たちは、全員、あちゃーってなってました。ものすごい勢いで、ブロックする人たちが現れてブロック祭りに。

 

そして、私は、耐えられなかった。

 

私がいるせいで、他の方たちまで悪く言われて、ぎゆ/むらの作品を書けなくなってしまうと一気に思い詰めました。

 

でも、初日は空リプして様子を見たんです。 3日間。

 

簡単に人の作品をいらないとか言うな!

人として間違ってるからな! と私はリプしました。

 

 

でも、眺めても、眺めても、「またブロックされたー!」

「もういい! 仲良くしてくれる人と好きな作品しかいらない!」

などなど、暴言、収まらず。

 

もう、無理でした。 8月24日(月)だっと記憶しています。

私は比較的、交流が近々であった方に、

「私と関わると、ぎゆ/むらむらでのお立場が悪くなるかもしれません」

「短い間でしたが、仲良くしてくださってありがとうございました」

とだけDMを送り付けてブロックしました。(この方々は当日のうちにブロ解)

空転氏も同時にブロック。

 

無理でした。あれだけ目立つ描き手さんに暴言を流されてしまっては、隣村面して居座れませんでした。

実際に、どんどん気まずい空気になってましたし。

それに、黙って消える気はありませんでした。

反撃は最初からするつもりだったんです。

だから、親しい方をブロ解して離れた。

この日を境に、私は一切の腐女子間の交流を断っています。誰も巻き込めないからです。ケンカするときはピンが基本だからです。

 

空転氏の暴言を見守ったのが8月21日くらいからだったはずです。

私は暴言ツイートを見た直後から発熱。

3日間、38度の熱が出ていました。断続的にですが。

コロナに感染したかと焦りましたが、肺炎の症状も一切なく、グラグラして、吐いて、吐いて吐きまくっていました。

空転氏の暴言を見た1時間後からずっと。

あの3日間は毎日10回以上、嘔吐していました。

ずっと酷い乗り物酔いとつわりのような状態でした。

 

苦しかったです。でも、子宮腺筋症で肥大化している子宮が消化器官を圧迫しているせいもあるのではないかと思っていました。

そんな状態で、腐アカウントを低浮上状態に切り替えて、私はいったん引きこもりました。

 

そして婦人科に行くと、ポリープがあると切除、同時に複数種類の検査をすることに。あまりにも体調が悪かった。ガンでも仕方ないなって状態でした。

タイミングも悪く、夫も下血。(のちに異常なしと判明)

白血病サバイバーの息子が、やっと完全寛解したのに両親が二人ともガンかもしれない。腐アカウントは休止状態。

 

そんな状態のなか、空転氏は地雷だから地雷って言っただけ、アテクシ悪くないツイートを垂れ流し、周囲からの反感を買いまくっていたのでした・・・

 

私はもう、死ぬかもしれない。

でも、せめて一撃でもやり返したい。 いや、やり返さなければならない。

 

だって、おかしいじゃないか。

何も悪いことしてない。

ただ、はじっこで書いていただけなのに、どうして。

 

メインのTwitterアカウントで2000フォロワーいるような同人作家が、

フォロワー20数名しかいない、せいぜい1000ブクマしかつかない漫画を描く底辺作家を不用品扱いして排除するの?

 

こっちが弱くて、通常の書き手さんなら一切、反撃方法がないって知ってて、あそこまで攻撃してきてるのに?

 

誰が、黙って、消えてやるか と私は思いましたね。

 

私には壁サークルだったときの炎上経験がある。

そしてWEB屋のプロだった経歴がある。

蛇の道は蛇。 反撃方法だけならば私は異様に手数が多かった。

反撃方法は、表で行使するものだけでも10枚はカードがある。

裏の大人のカードは今回は使わない。抹殺カードは使っても意味がない。

人の目に触れるところで、やらなければ意味がない。

 

こうして私は、壁打ちアカウントを立ち上げ、猛反撃を開始したのでした。

 

次回は、今回の腐女子いじめが起きた、力関係を分かりやすく説明する回です。

明日には更新します!

 

【トラブル当事者情報】

・イジメ被害を受けた人

チモッティー

Twitterアカウント

日常アカウント https://twitter.com/negative_chimo

腐女子用落書きアカウント https://twitter.com/chimochimo_raku

pixivアカウント https://www.pixiv.net/users/4878483

腐女子用アカウントは見ると嘔吐してしまうため一時的に鍵をかけています

 たまに落書きを投下していますが、あまり動きはありません

 フォロー申請いただければ気付き次第、対応しています。

 

・イジメ行為を行った人(一応、敬称をつけます)

空転氏

Twitterアカウント

メインアカウント 

https://twitter.com/iswimingyoursea

https://twitter.com/wcswimseaman

 https://twitter.com/swimsea

ぎゆ/むら作品投下用 https://twitter.com/gymrbot

pixivアカウント 

https://www.pixiv.net/users/732907

底辺腐女子が地雷レッテル貼りをされてPTSDになった話(6)

【このブログは、二次創作同人作家から突然、地雷レッテル貼りをされてイジメ行為を受け、まともな二次創作活動ができなくなってしまった、底辺の腐女子の訴えのブログです】

 

こんにちは 今回は、チモッティー白血病の子どもを抱えて生活をし、創作再開をする時までの話 です。

分かりにくくなってしまうので 年表をまた。

 

~2009年5月 息子誕生

2011年3月 東日本大震災発生

2011年1月~8月 チモッティー、そろそろ漫画創作再開しようとリハビリ開始

2012年9月 息子 小児急性リンパ性白血病(T-ALL)発症

      チモッティー漫画を描けなくなる(睡眠導入剤だけ服用し安定剤は拒否)

2013年11月 1年以上の化学療法、頭蓋照射を終え寛解状態で息子、退院

2013年12月 息子、放射線治療で全身無毛状態だが、公立保育園に入れてもらえる

以降まだ、1年間は抗がん剤の服用をしていました。

 

小児白血病の治療は1年、入院します。間に一時帰宅をしながら抗がん剤を使用した治療をします。 苦しい治療中、何度も、息子は目を覚まさなかったり、もう駄目だと思うことが何度かありました。

まわりのALLの子たちとは、一線を画す治療をしていますので差がけっこうありました。でも、他の難病の子たちも大勢いましたので、自分たちだけが特別とは全く思いませんでした。

 

今回、自分の子がたまたま発症しただけで、つねに一定数の難病の子、障がいをもつにいたる人は居るのです。その中の一人になっただけにすぎません。

ですので、私たち一家は、何で自分たちがこんな目に!?という感情は一度も湧かなかったのです。ある意味、ストレスのない性格とも言えます。

 

がんになった家族のいらっしゃる方は、ご存じと思いますが、がんには快癒はありません。寛解があるだけです。治療終了後、5年間再発しなければ完全寛解となります。

 

2020年2月1日(土) やっと息子の主治医より 「おめでとう 完全寛解だね」と告げられました。

 

長い長い、時間でした。

チモッティーは、この日まで。 2週間に一度は覚悟をして生きていました。

いつ、息子は再発するか分からない そのときのことを覚悟して生きてきました。

 

完全寛解の言葉を医師からもらい、やっと私は、ああ、また二次創作くらいは楽しんでもいいかなと、思えたのです。

 

話は少し戻ります。

完全寛解を迎えていなかったこともありましたが、息子の治療中、私は就労していなかったし、生活費とオモチャ代に今までの貯金や、解約した学資保険すべてをつぎ込んでしまっていたため、出産後からカウントしてバッサリと300万円程度、全額が消えてしまっていました。

預金残高は2014年時点で3万円程度しかない状態に陥っていました。

子どもが入院すると、医療費が国費で賄われますが、就労状況を維持できない場合、補填はありません。

毎日の面会、交通費、さまざまなお金がでていくままになります。

私は生命保険を子どもにかけるなと実家の母に強く言われていたため、共済すら入れておらず、当然、後悔しました。

実家の母は、知り合いのお子さんが亡くなったときに知り合いのお母さんが保険金詐欺を疑われてひどい目に遭ったのを見たことがあったので強硬だったのです。

誰が悪い、というわけではない話ですが、こども共済くらいは入っておけばいいと思います。非常に生活が苦しい状態に陥り、半年ほど、実家から月に5万円くらい仕送りをしてもらい、凌いだりしていました。

もう離婚して生活保護を一回、受けようと思うと、実家に相談したのでした。

つらかったです。病児を抱えて、どう働くのかという悩みは多くの人がもつものですね

今、勤めている職場ならば配慮はあるし、きっと就労し続けながら闘病できたと思います。

 

とにかく苦しかったです。せっかく保育園に入れてもらってパートに行きだして3日目にはスクーターに横断歩道上でひき逃げされました。

すぐに、犯人は捕まったのですが自賠責しか入っていなくて

車の保険の特約で交渉してもらい、なんとか治療費と休業損害(パートだともらえないくらい安いので主婦で申請しました)のお金をもらいました。

しかし、むちうちで半年以上苦しみながら吐きながらパートに行っていました。

 

1年ほど行っていたパートは大人数の事務センターでしたが、いじめがすごくて、仕事を教えてくれた方がいじめ抜かれて退職されてしまったので、次のターゲットは自分だと思い、体調が悪いですと言い張って辞めました。

理由をものすごく、「本当のことを言ってください」と問い詰められ、いじめがあった、次にやられるのは私なので、怖くて行けませんと正直に伝えたら、辞めさせてもらえました。

次に短期で派遣にいったところも、ものすごくて・・・私が居た3か月の間に8人辞めていきました。

 

子どもを産むまで外資で8年ほど働いていたので、正直ものすごく後悔しました。

とても働きやすかったし、どんどん給与がアップしていたからです。

仕事を辞めたくなかったのに、命がけで子どもを産んで、その子が白血病になり、やっと寛解したのに、自分はもう、まともなところで働けないのだと絶望しました。

 

もう無理だと思い、息子に一緒に死んでくれるように頼みましたが、

死にたくない、ママと一緒に生きたいと泣きながら言われて、思いとどまりました。

 

いいことも一つ、あったのですけれど。

2014年の6月に、インドネシアで働く仕事の面接に行き、実は合格していたのです。

私は息子の服薬治療が9月に終わると思っていたのですが、実際は放射線治療分の期間、後ろにずれてしまっていて12月まで服薬が継続すると気付き、辞退しました。

あの、合格は。 私の心を救ってくれました。

少なくとも、まだ、能力を認めてくれる企業があり、私を雇用してくれるのだと、

お役に立つことは出来ませんでしたけれど、どれだけ救われたことか。 とても感謝しています。

それが 2014年の出来事です。

2014年12月叔父夫婦が私と息子をスリランカに連れて行ってくれました。

そして、現地で再発率の高い白血病であることを話し、少し民間療法を試すことになりました。

翌年、2015年5月 実家から資金を援助してもらい、1ヵ月、アーユルヴェーダ治療を受けにスリランカに行ってきました。

本当に効果を期待していたわけではありません。

息子はいつ、再発するか分からない、できることは、たいしてない。

でも、やれることをしておかなければ、後悔するという実家の祖父母と私の気持ちのためのチャレンジでした。

旅行会社を介さず、自力で医療治療用のビザを取得、航空券を手配、海外旅行保険も入り、現地で知り合ったガイドさん頼りに、母子だけで1ヶ月渡航しました。

 

現地では、それはそれは、皆さん優しかったです。

病児を連れて日本から母子だけで来ているというだけで、とても親切にしていただきました。 今は無理ですが、経済的余裕が出来たら御礼に行きたいと思っています。

 

あの貴重な経験は、大きなターニングポイントになったと思います。

私には、まだできることがある。そう思えました。

海外就労の合格だってもらえた。

スリランカまで子連れで行ってこれるバイタリティーだってある。

そう自分自身を、無理やりではありますが、肯定することが出来ました。

 

そして不思議なことに、そこから運が上向いたのです。

スリランカから帰国した翌月、たいして係わりのない派遣会社から電話があり、双子を産んだ方の代打の事務に行ってくれと言われたのです。

数年ぶりに、ありついた、まともな企業でのまともな仕事でした。

育休を明けた方が戻ってきて、お役御免となったのですが、そのまま何とか、間を空けずに今の仕事に就くことが出来たのです。

 

今も働かせていただいているのは、偶然にも子どもが白血病の治療を受けた大学病院のおおもとです。教育機関で事務職をさせていただいてます。

 

2016年5月。 熊本地震の直後から現在の職場でお世話になっています。

いまが2021年5月ですから、6年目ですね。

でも、決まった当日は大喜びするも、翌日には逆に夫がリストラを宣告され、まあ、落ち着きはしなかったですね。

2016年6月、私の頭には、500円玉禿げが2つ出来て、雪だるま禿げになってました。

 

それでも、小1になったばかりの息子を学童に入れ、送り迎えを夫に押し付け、私は仕事にまい進することが出来たのです。

むしろラッキーだったと言えます。

 

夫は夫で、なかなか仕事が決まらなかったので、職業訓練に行きなさいと言い、3DCADの訓練を受講(もともと電子系の訓練に2年通っていたこともある)

訓練校の紹介で、今の勤め先を面接。 正社員になることができました。

しかも、給与は前よりも良くなったのでした。

 

2017年、2018年、2019年と、徐々に我が家の財政状況も改善。

私も正規雇用に切り替わり、暮らしは安定。痩せて体力のなかった息子も人並みに元気になっていきました。

 

そうして迎えたのが。

2020年2月1日(土)の、完全寛解を宣言してもらえる日だったのです。

私はその時を境に。

やっと12年ぶりに。 また、漫画を描こうと。

人生最後の再起動をかけることを決意したのでした。

 

次回は、どのように創作再開をし、地雷レッテルを貼られるに至ったのかを記します。

 

底辺腐女子が地雷レッテル貼りをされてPTSDになった話(5)

【このブログは、二次創作同人作家から突然、地雷レッテル貼りをされてイジメ行為を受け、まともな二次創作活動ができなくなってしまった、底辺の腐女子の訴えのブログです】

 

おはようございます。 今回は、チモッティーが産後、10年以上も何故、漫画を描くことが出来なかったのかを説明する回その3 です。

息子の白血病(T-ALL)についても書いていきますので、重たい話ですが、地雷レッテル貼りをされてPTSDになった背景でもありますので、ご一読いただけると、ありがたいです。

 

2012年 9月4日 私の一人息子は3歳で小児急性リンパ性白血病(ALL)と診断されました。

翌日、9月5日には、もっとつらい事実が告げられました。

小児病棟の別室に案内され、治療プロトコルの説明をする前に主治医からお話がありました。

 

「息子さんは小児急性リンパ性白血病(ALL)の中でも、非常に再発率が高く予後がよくないT細胞型でした」

 

当時、T-ALLはまだ、発症した子の8割が死ぬ病でした。

ネララビン(アラノンジー)の臨床が開始され5年目の段階であったため

希望が見え始めていた時期でもあります。

そのため、主治医の説明は、「いや、50%・・・死の覚悟をしてください」と言い直してくれました。

 

難しい局面です。 難病になった子どもの親に、こんなことを説明しなくてはならない医師の重責が、ひしひしと伝わってきました。

言葉を慎重に選びながら、こちらの反応を見ながら。

医師というのは、なんと難易度の高い仕事だろうか、と思いましたね。

 

私は、覚悟を決めざるを得なかった。

治療をしなければ死ぬしかなく、毎期ごとに切り替わる治療プロトコルの説明は丁寧だったし、ちょうど抗がん剤の使用を調整し、副作用よりも効果を優先するターンでした。(治療プロトコルは、副作用に配慮するターンと効果を最大限に試すターンが交互に試行されます。きちんと説明を医師がしてくださいます)

 

何よりも、日本は手厚いです。

小児慢性特定疾病の医療助成を申請すれば、医療費は国費で賄われます。

そして息子の白血病は、珍しい型だという

8割死ぬと言われても

自分の子がダメでも、この病を発症する子どもたちが、これからも現れる。

ならば。

たとえ助からなくても、少しでも良い臨床データを遺すことはできる。

闘わなくてはいけない。
勝算が低くととも前に進まなければいけない。
他に選択肢はない。

 

第一、この治療プロトコルを断る方法はない。
断ったりしたら、どこの病院が息子を受け入れてくれるのか。
どこにもない。怪しい民間療法の施設で死を待つだけになるわけにはいかない。

 

まだ3年しか生きていない息子の生存は無理かもしれない。
でも、無駄にしたくない。生きた証だけでも遺すことはできるはずだと思いました。

 

しんどかったです。

 

夫にアホなことを言ってしまうくらいに

 

ドラクエでさー 勇者に選ばれるってこういうことだったんだねえ」

 

「あー 選択肢がない」

 

「戦わなかったら、死ぬ。 戦っても死ぬ 勇者に選ばれたら戦うしかないんだよ」

「我が子が勇者に選ばれちゃった、NPCのお母さんの気持ちが急に理解できたよ」

 

T-ALLの中でも、息子の症状は重く、すでに中枢神経への浸潤が起きていました。

ベル麻痺だと思っていた、顔面神経麻痺は。

白血病によって、がん細胞が中枢神経に入り込んで起きていたものだったのです。

 

白血球の数値、浸潤の有無で重度は変わります。

それに合わせて治療プロトコルも変わります。

 

息子は、中枢神経にすでに浸潤をおこしているため、放射線治療(頭蓋照射)が治療に組み込まれることになりました。

 

T-ALLの発症者数は、一般的なB細胞型の子の人数に比較すると非常に少ない。

そのため、私たちは、8割が生き残る白血病の子どもたちと一緒に、8割助からないという事実を抱えて治療をスタートしました。

 

小児病棟にはさまざまな疾病の子がいます。

同じ血液の病でも、再生不良性貧血や、副腎白質ジストロフィー、脳腫瘍の子も同じ病棟、同じ病室で治療を続けています。

 

小児急性リンパ性白血病の子が1000人いたら、そのうちB細胞型が950人。T細胞型は50人くらいの比率です。これが毎年の日本の発症数の目安です。

そのため、息子の主治医の先生もT-ALLの子を見るのは、別の病院以来ですとおっしゃっていました。

 

人数が少ないので、同じ急性リンパ性白血病のB細胞型よりもブレイクスルーの到来が遅かった。T細胞型白血病は、ネララビンが登場するまで治らない病だったのです。

 

私は、息子がT-ALLのために皆とは生存確率が違うこと、治療プロトコルも違い、使う抗がん剤の量もかなり多いこと、放射線治療まであることは、あまり周囲の白血病のママ達には話しませんでした。

別に隠しもしませんが、おなじ病をかかえた仲間たちです。

全員がつらいのです。突然、普通の暮らしができなくなってしまったのです。

ですから、極力、周囲に負担を与えないようにふるまいました。

淡々と、ああ、うちは型が違うから、ちょっと治療がハードなの、くらいの言葉を選び、毎日面会に行きました。

 

 

骨髄性の子の親御さんに「急性のあなたたちは治るからいい」と言われた時は

「うちは違うの 珍しい型だから、8割方助からないの」と答えました。

 

誰もが自分の子の命優先で、視野が狭くなります。

そのため、家族間でも言葉がきつくなったり、親類に白血病の者がいた、いないで争いを始めたり、祖父母が広島長崎で被爆していたからだと思い込む人もいます。

 

また、当時は福島第一原子力発電所事故が発生して1年目だった。

多くの親が、自分の子の小児がんは、原発事故のせいではないかと考えてしまう時期でもありました。

 

私の個人的な意見ですが。

影響はあったと思います。 まず、白血病の子の人数が多かったです。

そして通常は男児が多いのに、男女半々の人数でした。

 

実際の発症人数に関しては小児慢性特定疾患の悪性新生物の新規助成申請数を確認すれば分かります。

 

このブログでは詳しい数値を述べません。数値はご自身で確認してください。

個人の意見だけ述べます。

 

原発事故以降に、小児白血病の発症数が3倍に跳ね上がったとします。

それは逆に、3分の1の子は放射性物質のフォールアウトを受けた被ばくによってセカンドヒットが入り、発症したわけではないということです。

3分の1の子は、もともと原発事故に関係なく、発症する運命だったと。

私は、自分の子は、その3分の1なのでは、ないかなと思いました。

これを切り分ける方法はありません。

立証する方法がないです。

 

自分の子どもが、白血病になったけれど、それが原発事故のせいだと確定させる方法はないのです。因果関係の立証は個体単位では不可能なのです。

 

そして、そんなことを追及している時間はないのです。

闘病している子どもたちが生き残るために最善を尽くすことが最優先でした。

その姿勢を、病棟の医師や看護師さんたちは身をもって示してくれていた。

 

納得できないママたちに、私はこう言いました。

 

「今、原発事故の件をSNSなどでは話さないようにしましょう。子どもが病気になって頭がおかしくなった母親が放射脳になった!とバッシングされるだけだから

 

全員が、頷きました。

 

ただでさえ、子どもが難病になって、精神的にギリギリなのに、

このうえネット上でバッシングなどされるのは耐えられない。

 

当時、小児がんを発症した子どもたちの親の多くは、この心境を経験しています。

 

そして私は、原子力爆弾と違い原発事故による被害は長く続くと考えていました。一度増えた悪性新生物の発症数は右肩上がりで累積するのではないかと危惧していました。

でも、それは杞憂でした。 小児病棟に大勢いた白血病の小児たちの人数は減っていったのです。

一時的に増加していた白血病の発症者数は、2017年あたりからピークアウトしていると私は考えています。

広島長崎での白血病発症者数と同じ形の放物線をえがいて、です。

何故、私がはっきり数値やグラフを示さないのかというと、THE文系なのです・・・

間違いを提示してしまうと大変なことになりますので、ぜひ理系の方に検証をしていただきたいと考えております。

 

詳しく、説得力のある検証を提示できない能力不足は申し訳ないのですが、

とにかく原発事故による影響は、飛散した放射性物質が原因のため、爆発が起きた後、一度、目に見える範囲では少なくなった私は考えています。

 

長期的に影響を与える放射性物質もありますので、長い時間をかけて影響を観測する必要があるでしょう。

 

臨床現場における医療関係者の対応は、淡々としています。

どんな理由で病気や怪我が発生しようとも、やるべきことは変わらないからです。

 

医師や看護師の方々、医療従事者の方々は、大量殺人を犯したものが運び込まれても、背景には関係なく命を助けます。

社会的な背景や同調圧力に関係なく、医療従事者としての矜持がそこにあります。

まず、生きている者を生かすことが最優先だからです。

緊急時にはトリアージ。助かるものから助ける、重症者から治療する。

今はまだ、それが優先される時期です。

 

いずれ、数十年を経た後に、イデオロギーの関係なく。

社会的な圧力を受けずに福島第一原子力発電所事故の影響を研究し、当時、何が起きていたのかを検証してくれる研究者が現れると私は信じています。

データはきちんと、大勢の方々が取ってくれています。

今は研究することで損をしてしまうこともありますので、まだ、その時期ではないと考えています。

 

長々と、私の個人的な経験を記述しました。次回(底辺腐女子が地雷レッテル貼りをされてPTSDになった話(6))からは、ブログタイトルの内容をはじめたいと考えています。

底辺腐女子が地雷レッテル貼りをされてPTSDになった話 をです。

底辺腐女子が地雷レッテル貼りをされてPTSDになった話(4)

【このブログは、二次創作同人作家から突然、地雷レッテル貼りをされてイジメ行為を受け、まともな二次創作活動ができなくなってしまった、底辺の腐女子の訴えのブログです】

 

おはようございます。 今回は、チモッティーが産後、10年以上も何故、漫画を描くことが出来なかったのかを説明する回その2 です。

息子の白血病(T-ALL)についても書いていきますので、重たい話ですが、地雷レッテル貼りをされてPTSDになった背景でもありますので、ご一読いただけると、ありがたいです。

 

2011年、チモッティーは産後、1年半ほどで仕事に行きはじめて、すぐに東日本大震災の影響を受けました。

でも不幸中の幸い。 多くの親御さんたちもまた、震災の影響を受けて「子どもを保育園に預けるのをやめて自宅にいる」ことを選んだタイミングにうまくはまり、息子は認可保育園に入れてもらえました。

それも、しばらくプレハブだったのですが、すぐに新築のピカピカの素敵な保育園が完成。運営も評判がよく、今も市内で一番人気です。

 

なんとか育児をしながら2012年、夏を迎えます。

私自身が体調をくずし、仕事に行くのをいったん止めて保育園と相談している時期でした。8月、息子は日に焼けて真っ黒でした。私も夫も皮膚が丈夫なほうで、日焼けしたら真っ黒になるほうです。

でも、少々、元気がない。 夏バテかなと思いました。

 

8月の下旬、夫が息子の顔が、向かって左側・・・つまり本人から右半分、動いていないと言い出します。

私も、保育園の先生も、たまたま息子の左側から接触する頻度が高く、気付かなかったのです。言われてから、よくよく見ると、笑っても顔が右半分動いていない。

 

びっくりして、保育園の近くの内科クリニックにすぐに連れて行きました。

クリニックでは市立病院で詳しく見てもらいましょうと、金曜だったので、週明けに予約を入れてくれました。

 

でも、心配で。何か脳の病気だったら、どうしようと私は焦りました。

検索しまくって、どうやら耳鼻科が本来は相応しいようだ、週明けまで待たないで耳鼻科にも連れて行ってみようと翌日の土曜日に近所の耳鼻科に行きました。

 

耳鼻科の先生は、顔が半分、全く動いてないじゃないか!週明けなんてとんでもないと、すごい勢いで仰って、すぐに協同病院に予約を入れてくださり、午後には診察を受けることが出来ました。

 

診断結果は「まあ、ベル麻痺でしょう」ということでビタミン剤が処方されました。

息子は保育園で水疱瘡に罹患したことがあったためヘルペスウィルスによるベル麻痺と診断されたのです。

これは誤診でも何でもなく、小児には、よくある症状なのです。

私も診断を全く疑わなかった。2週間くらいで治るであろうと普通に過ごしました。

 

でも、息子は弱っていきました。

じょじょに、寝転がって遊ぶようになりました。真夏でしたから、体力が落ちているのかと思い、なかなか良くならないな、涼しくなれば良くなるかなと過ごしていました。

 

2012年 9月3日 息子は、とーちゃん と、何故か夜に私に言いました

様子がおかしかった。 もともと未熟児で食が細い子です。やつれて、一生懸命食べさせても食べさせても、あばらが浮いていて、7月までは夜は添い乳をまだしていました。3歳の子どもに、わざわざ授乳を継続する必要はないのですが、中耳炎になったり色々あり、夜だけ授乳を7月までしていたのです。

さすがに8月にやめたのですよね。

でも、止めたとたんに、さらに一気に細り始めた。

 

あの日、息子は飢えた子ども、餓鬼のような体形になってしまっていました。

あばらが浮いているのに、お腹が突き出てきたのです。

食が細いとはいえ、食べさせてはいるし保育園にも毎日通っている。

 

ベル麻痺の件もあり、体力が落ちているのだ と考えていましたが、

毎日毎日、何かがおかしい、何かがおかしいと思っていました。

 

とーちゃん、という息子を連れて、早めに駅まで夫を迎えに行き、

お腹が突き出てきて様子がおかしい息子を病院に連れていきたいと話し合い、

協同病院に電話をして、23時過ぎに小児科医の先生に診てもらいました。

 

最初にかかったときはベル麻痺の疑いのため耳鼻科でした。

なので血液検査をしていなかった。

 

深夜なので、若い小児科医の先生は「明日になってから血液検査をしますか?それとも、今しますか?」と聞いてくださったので、もう限界だった私は「今すぐ血液検査をしてください」と頼みました。

 

でも、特に異常はないだろうと思っていました。

体力が落ちているのだと思っていました。

 

血液検査のあと、一気に小児科の先生の気配が変わりました。

全く想像していなかったことを言われました。

 

「白血球の数が異常に多いです。白血病の可能性があり、急変し命にかかわる状態ですから、このまま入院していただき、また朝に大学病院に相談します」

 

何を言われたのか、よく分からなかった。

 

でも、若い小児科医の先生は丁寧に説明をしてくれました。

 

通常の正常値は4000~8400/μL程度であること。

息子の白血球数は、74000/μL以上であると。

 

それでも、私も夫も、何か感染症か何かがあって一時的に上昇しているのではないか、などと、思わずにいられなかった。

 

でも、こんな数値は白血病でもなければ有り得ないですよね。

医師はもう確信に至っていた。

体力がなく、寝転がって遊び、異常な数値が出ているのだから当たり前です。

 

呆然としたまま、まだ3歳の息子を協同病院に預け、帰宅しました。

翌日は大学病院に行くために夫は有休を申請。

素直に白血病の疑いと伝えたので、すんなり承諾されました。

 

翌朝、協同病院に行くと、ソフビ人形を貸してもらい、点滴をしているけれど楽しそうな息子が居て、少し安心しました。

私は、超合金もまだ1~2個しか与えておらず、あんなに嬉しそうならソフビ人形も買ってあげれば良かったなあと思いました。

知育玩具はそこそこ家にありましたが、保育園にも入れているし、タブレットなども触らせたことはありませんでした。

おもちゃの数は、普通に、ほどほどで十分だったのです。

 

協同病院の小児科医の先生は明らかに徹夜でした。

息子のために一睡もしていないのが丸わかりでした。申し訳ないけど、有難いなと思いました。

 

「朝に、院内の血液専門の先生と、血液細胞を確認しましたが正常な形をしていませんでした 鎌形赤血球が見えました、ほとんど正常な血液細胞が残っていません」

と告げられました。

 

私は動揺していて、実家が都内のため、都の医療センターに行ったほうがいいのではないかと、医師と話し合おうとしましたが、協同病院の目の前にある大学病院は、小児の造血細胞に関する専門の優秀な先生がいると言われて、一応、納得し、目の前の大学病院に連絡してもらい、すぐ連れて行きました。

 

一気に、色々な検査をしました。超音波、MRI、全てです。

 

そして、今も主治医である血液専門の小児科医の先生に告げられました。

 

「息子さんは、白血病です」

「小児急性リンパ性白血病(ALL)です また明日には、さらに詳しい検査結果が出ます」

 

夫は腰を抜かしました。

私は、認めたくなかったけれど、理解しました。

 

昨夜から診てくれた協同病院の若い小児科医の先生と、血液専門の先生、そして目の前の専門医。3人の医師が「白血病」と言っているのだから、それが事実なのだと理解しました。

 

頭で理屈は理解できましたが、気持ちは全く追いつかず、夫を支えながら大学病院の敷地内にあるスタバまで歩きました。

 

2人で

「明日になれば、間違いでしたって言ってもらえるかもしれない」

「でも3人の医師が、判断しているんだから白血病なんだよ」

と、グルグルと静かに話し合うしかなく。

 

何か食べなければ、飲まなければ、と言いながら、ラテしか飲まなかったですね。

 

子どもの入院用の物品をそろえたりするように動きましたが、

 

結局、翌朝もやっぱり私たちは

「間違いでしたって言ってもらえるかもしれない」

と、期待していたのでした。

 

私自身、2か月間は毎朝「夢だったんじゃないかな」と思いました。

 

のちに、白血病ママ友たちと話しましたが、皆さん一様に

「ドッキリかと思った」

「からかわれていると思った」

「間違いだと思った」

とおっしゃってました。 まさか自分の子が、そんな病気になると誰も予想しないからです。

 

小児白血病は、突然に発症します。

親類縁者に白血病の既往がある人が居なくてもです。

理由はほとんど断定できません。

 

理由を考えるよりも先に、生き延びることが優先になります。

とにかく、治療をするしかないのです。

治療しなければ、死んでしまうのだから。

 

長くなりますので、また続きます。 あと2回は息子の白血病の話になるかと思います。

 

底辺腐女子が地雷レッテル貼りをされてPTSDになった話(3)

【このブログは、二次創作同人作家から突然、地雷レッテル貼りをされてイジメ行為を受け、まともな二次創作活動ができなくなってしまった、底辺の腐女子の訴えのブログです】

 

おはようございます。 今回は、チモッティーが産後、10年以上も何故、漫画を描くことが出来なかったのかを説明する回その1 です。

うざい内容かもしれませんが、読んでいただけると嬉しいです。

 

2009年に緊急帝王切開で息子を産みました。

31週で1240グラム、極低出生体重児です。前年度にNICUを廃止してしまった医療センターで出産したため、息子はBABY AMBULANCE(赤ちゃん用の救急車)で、すぐに保育器のある小児病院に運ばれて行きました。

 

奇跡的に自発呼吸ができる状態でした。

サイズは手のひらサイズの赤ちゃんで、仔猫よりも小さかったです。

2か月間保育器に入り、退院。

翌年にはマイホームを買い、引っ越しました。

そこから、さらに1年経過、息子は細いけれど健常児と変わらない成長をたどっていました。幸せでした。

 

そうして2011年3月11日を迎えます。

私は3日前から、講師の仕事に行っていました。当日は授業のない日で、スーツを作り足しにショッピングモールへ。

認可保育園に入れないまま仕事が決まってしまいましたので、まだ1歳の息子を無認可に預けざるを得なかったのですが、預けながら認可保育園に入れる手順をすすめていました。

 

東日本大震災がきました。 私はわずか12キロ程度の道のりで帰宅困難に。道路が動かなかったからです。都内にいた夫も帰宅できず、息子は無認可保育園の園長先生が23時まで預かってくれました。

 

翌日、福島第一原子力発電所事故が起きました。

私は神奈川南部に住んでいますので、影響は少ないほうですが、夫はしばらく在宅で良いという話にもなり、思い切って、唯一動いていた東海道新幹線に乗り、中部国際空港経由で、夫の実家の札幌に二人を疎開させました。

私は講師の仕事があるので神奈川に残りました。

 

自分の子が、原発事故によってフォールアウトした放射性物質により被ばくしたところで、何か支障があるのかと言われたら、細胞単位で傷がつくので次世代以降に少し影響はあるだろう程度に考えていました。

万が一でしかないけれど、念のため札幌に行かせたのです。

私たちの子どもが白血病になる可能性は、ほぼない。だけど、事故現場から近ければ近いほど発症率が上昇し、リスクはどんぶり勘定で20倍以上だなと冷静に考えていました。

 

私は内心では原発反対派でした。でも産業が少ない地域に資金を呼び込み、経済格差を埋めてきた功の部分を悪とは思えないほうなので反対運動などはしたことがありません。福島第一原子力発電所事故が起きた日に、もう稼働させておくしかない発電所を、大量に作ってしまったのだから、どうにもならないなと、逆に腹を決めてしまいました。

 

夫と子どもを札幌に疎開させるという、大胆な判断は、実の父と、夫の父・・・舅に痛烈な批判をされました。二人の主張はこうでした。

「原爆が落とされたわけじゃないんだから、気にし過ぎだ」

「頭が、おかしい」

 

私は驚きました。原爆、水爆による被害は炎熱と爆風による被害がまずきて、放射性物質による被ばくの被害が複合的に起きます。ゆえに派手な目に見える被害がありますから、戦前生まれの父たちにとっては原発事故によって飛散する放射性物質の線量や、種類は理解できないものだったようです。飛散する放射性物質の量はとても多いのに、です。

恐ろしいことに二人とも電気電子の技術者です。

その二人が、理解をしていなかった。 少々、絶望しましたね。

 

1か月ほど、札幌に滞在した夫と子どもですが真剣に話し合い、神奈川に戻ることにしました。

そのとき、夫と私は話し合っていたのです。

原発事故によるリスクは確かにある。でも、今は家族で一緒に暮らすほうをとろう。もし、息子が小児がんを発症したとしても現実を受け入れよう」と。

 

原発事故の後、小児がんを発症する人数は、増加するであろうことは分かっていました。ウクライナのデータを見たことがありましたので。

それも、高校生の時です。

私は漫画を描いていたので、10代の段階で一通りの書籍を読んでいた。なので福島第一原子力発電所事故のときも、独自の感覚で動いていたのです。

 

被ばくしたからと言って、直ちに死に直結するわけではない。

運が悪いと、白血病などになる それを、ただ、知っていただけです。

 

まさか、翌年に、本当に自分の息子が白血病を発症するとは思っていなかったのです。

底辺腐女子が地雷レッテル貼りをされてPTSDになった話(2)

【このブログは、二次創作同人作家から突然、地雷レッテル貼りをされてイジメ行為を受け、まともな二次創作活動ができなくなってしまった、底辺の腐女子の訴えのブログです】

 

こんにちは。今回は、チモッティーの自己紹介を詳しくしていきます。

長い自分語り乙!なので、読まなくてもいい回です

うざいと感じる方は流してください。

 

本来、腐女子の創作活動は、個人情報を極力出さないで行う方が多いのですが、私は職場にも家族にも友人にもオープンにしています。特に隠す理由もありませんので。

率先して話すこともありませんが、ご近所の方にも隠す気がないです。

 

私は2021年現在、アラフォーですが、もうすぐアラフィフです。

ロスジェネ、氷河期世代です。

 

幼少期から絵を描き、初めて同人誌をつくって売ったのは13歳、地元の即売会でした。

ジャンルはキャプテン翼

その後、断続的に同人活動を続けていきます。

 

高校生のときは平成初期ですね。当時はまだ今ほど若年層の活動のハードルは高くありませんでしたので、オンリーイベントの主催までしたことがあります。

同人バブルの時代でもありましたね。聖戦士星矢やサムライトルーパーが旬ジャンルで、多くの有名同人作家さんが産まれ、プロになっていきました。

一度、オリジナル漫画を描いて投稿して努力賞みたいなのをいただきましたが、親の猛反対や、半端な状態はよくないということで、まず大学進学をすることにしました。

 

大学に入ってからは、場所がへき地だったことと、何故か超真面目に学修に取り組んでしまい、同人活動はしませんでした。

 

次に同人作家として活動したときは社会人になってから。

2~3のジャンルで活動後、二次創作での人付き合いがどうも苦手だなと理解し、コミティアに活動拠点を移し、しばらくオリジナル同人誌をつくってました。

 

二次創作はBLをよく描くので、どうしても女性の方が関わることが多くなりますね。

「あなたは立場を自覚して、読み手さんとの距離を、もっと取りなさい」という注意を何度か、プロの漫画家さん方から優しく言われたことがあります。

当時はよく理解できませんでした。

私は、絵が下手で、まともな作品は描けないのです。

本当に素人の趣味なんですよ。描くスピードは速かったので作品数だけはいつも多い。

ですから同人活動をする際も、WEBでの広報活動と、人様との交流は描き続けるために必要な要素と考えていて、必死でビジネスライクに活動していました。

 

でも、どれだけ気を付けていても、読み手さんが増えると対応のキャパシティを超えてくる時が来ます。

二次創作だと自分の実力に対して、分不相応な部数の同人誌を作って、お誕生日席や壁にサークルが配置されるような状況に追い込まれるときもあります。

そういうことが、何度かあってから、「立場を自覚して、読み手さんとの距離をとる」という言葉の意味を、少しは理解できるようになりました。

 

私は超雑食でして。地雷カップリングがないのです。

いえ、本来は生理的にダメなものも、あるのだと思います。

ただ、最初に、うっ、と思っても、半日~数日で大丈夫になってしまうほうです。

 

どんなに生理的に苦手な題材でも、直視したくない現実でも、漫画に描こうとして向き合うと、自分個人の感覚を乗り越えてしまえるタイプです。

描くためには知らなければならない、という謎のメンタリティが生理的な嫌悪を乗り越えさせるようです。

でもいまだに高所恐怖症だけは克服できません。

昆虫は男児を産んで育てたら、10年かけて大丈夫になってしまいました。

 

多くの腐女子の方には個人の嗜好性というものがあります。

現在は苦手なものを「地雷」と呼ぶのが慣習ですね。

 

地雷=生理的にどうしても受け付けないシチュエーション、パターン、傾向、カップリング 

例えば、女体化が無理、BLカップリングのリバを直視できない、獣化とか許せない

などなど。

 

苦手なものがあると、何かが地雷だと表明するのは全然OKだと思います。

また、それらの要素を嗜好するものが、苦手な相手に読まないのはもったいないなどと言って強要するようなことは、してはならないと考えているほうです。

一種のハラスメント行為だと思います。

 

ゆえに私は。 どんどこ色物も描きますが、無理に人さまに私の作品を押し付けるような活動はしたことはありません。

色物描いててすいません、と常にペコペコしているほうです。

 

でも私は面倒くさい性格をしています。

他の方が好きな二次創作のカップリングを声高に嫌い、消えろ、などと言う人は苦手です。どうしても許容できないほうです。

 

私の地雷は。

他の方が好きなことを、声高にけなしたり、攻撃していく人ですね。

 

本当に無理なので、仲良くできない。

急いで距離をとろうとするのですが、どういうわけか、そういう人に限って追いかけてきて逃がしてくれなかったりして、拒絶に失敗してしまい大炎上したことがあります。

 

そこそこの同人作家が、弱い個人をいじめた、という設定で炎上しました。

 

逃げ方が下手糞でした。 あんなの今考えたら、本人を無視して着信拒否して自サイト半年休止して、引きこもっておけば良かったんですよねえ。

真正直に、あなたとの交流は無理ですと伝える必要はなかったなと。

 

ひとしきり、2ちゃんねるなどで炎上したのち、叩かれ方がおかしいね、という意見が出はじめ、実際に叩いていた人たちが3~4名、特定されてました。

 

何をされたのかというと、イベント参加に行くために電車に乗ってるときから実況されたりするんですね、スレで。

即売会で、お金を数えていたとかそんなことも実況されます。

 

炎上したとき、私は、誰が匿名掲示板で私を叩いているのか、実は気付いていました。

同人作家が炎上するとき、手のひらを返してくる人というのが必ずいます。

その人たちでした。

当人たちの本名も連絡先も把握していましたが、リークしませんでした。

現職教員の親御さんのいる、お嬢さんたちでした。

 

親御さんに連絡してしまえば、解決したかもしれませんね。

でも、しませんでした。

そんなことよりも、本人たちの異常なメンタリティーに驚きましたね。

関わりたくなかったし、親御さんも面倒な人たちかもしれないわけですから

それはもう、離脱でいいなと。

 

そういうわけで、しばらくオリジナルを描いてコミティアに参加していました。

 

私は二次創作をするときは公式作品と推しキャラに愛を注ぐ人です。恋をしている気持ちで創作をしています。ですから、一緒に推しキャラや作品への愛、背負っているカップリングについて語ってくれる仲間は欲しいです。大勢でなくていいから、欲しいです。壁サークルなどになってしまっていたときは、とても辛かったです。

同人誌の部数をたくさん売りたくないし(確定申告しないといけなくなる)、

何よりも壁は寂しいし、人目に晒されるし、いいことは、あまりありませんでした。

それと同人誌の発行部数が増えると「公式作品の褌で相撲をとっているのだ」という謎の考えにとりつかれて辛かったです。

今考えたら、そんなこと考える必要ないんですよね。

好きなものを好きと、愛情を注いでいるだけなんだから。

当時はとても疲れていたのだと思います。

 

 

その後、2008年には息子を妊娠、2009年に緊急帝王切開で出産をしました。

いわゆる、超未熟児でした。 31週で1240グラム、極低出生体重児です。

 

そこから実に12年間。私は創作活動が出来ない時間を過ごすことになります。

詳しい話は区切って、 底辺腐女子が地雷レッテル貼りをされてPTSDになった話(3)に記します。