底辺腐女子が地雷レッテル貼りをされてPTSDになった話

底辺腐女子がメンヘラになった話を書いています。

底辺腐女子が地雷レッテル貼りをされてPTSDになった話(3)

【このブログは、二次創作同人作家から突然、地雷レッテル貼りをされてイジメ行為を受け、まともな二次創作活動ができなくなってしまった、底辺の腐女子の訴えのブログです】

 

おはようございます。 今回は、チモッティーが産後、10年以上も何故、漫画を描くことが出来なかったのかを説明する回その1 です。

うざい内容かもしれませんが、読んでいただけると嬉しいです。

 

2009年に緊急帝王切開で息子を産みました。

31週で1240グラム、極低出生体重児です。前年度にNICUを廃止してしまった医療センターで出産したため、息子はBABY AMBULANCE(赤ちゃん用の救急車)で、すぐに保育器のある小児病院に運ばれて行きました。

 

奇跡的に自発呼吸ができる状態でした。

サイズは手のひらサイズの赤ちゃんで、仔猫よりも小さかったです。

2か月間保育器に入り、退院。

翌年にはマイホームを買い、引っ越しました。

そこから、さらに1年経過、息子は細いけれど健常児と変わらない成長をたどっていました。幸せでした。

 

そうして2011年3月11日を迎えます。

私は3日前から、講師の仕事に行っていました。当日は授業のない日で、スーツを作り足しにショッピングモールへ。

認可保育園に入れないまま仕事が決まってしまいましたので、まだ1歳の息子を無認可に預けざるを得なかったのですが、預けながら認可保育園に入れる手順をすすめていました。

 

東日本大震災がきました。 私はわずか12キロ程度の道のりで帰宅困難に。道路が動かなかったからです。都内にいた夫も帰宅できず、息子は無認可保育園の園長先生が23時まで預かってくれました。

 

翌日、福島第一原子力発電所事故が起きました。

私は神奈川南部に住んでいますので、影響は少ないほうですが、夫はしばらく在宅で良いという話にもなり、思い切って、唯一動いていた東海道新幹線に乗り、中部国際空港経由で、夫の実家の札幌に二人を疎開させました。

私は講師の仕事があるので神奈川に残りました。

 

自分の子が、原発事故によってフォールアウトした放射性物質により被ばくしたところで、何か支障があるのかと言われたら、細胞単位で傷がつくので次世代以降に少し影響はあるだろう程度に考えていました。

万が一でしかないけれど、念のため札幌に行かせたのです。

私たちの子どもが白血病になる可能性は、ほぼない。だけど、事故現場から近ければ近いほど発症率が上昇し、リスクはどんぶり勘定で20倍以上だなと冷静に考えていました。

 

私は内心では原発反対派でした。でも産業が少ない地域に資金を呼び込み、経済格差を埋めてきた功の部分を悪とは思えないほうなので反対運動などはしたことがありません。福島第一原子力発電所事故が起きた日に、もう稼働させておくしかない発電所を、大量に作ってしまったのだから、どうにもならないなと、逆に腹を決めてしまいました。

 

夫と子どもを札幌に疎開させるという、大胆な判断は、実の父と、夫の父・・・舅に痛烈な批判をされました。二人の主張はこうでした。

「原爆が落とされたわけじゃないんだから、気にし過ぎだ」

「頭が、おかしい」

 

私は驚きました。原爆、水爆による被害は炎熱と爆風による被害がまずきて、放射性物質による被ばくの被害が複合的に起きます。ゆえに派手な目に見える被害がありますから、戦前生まれの父たちにとっては原発事故によって飛散する放射性物質の線量や、種類は理解できないものだったようです。飛散する放射性物質の量はとても多いのに、です。

恐ろしいことに二人とも電気電子の技術者です。

その二人が、理解をしていなかった。 少々、絶望しましたね。

 

1か月ほど、札幌に滞在した夫と子どもですが真剣に話し合い、神奈川に戻ることにしました。

そのとき、夫と私は話し合っていたのです。

原発事故によるリスクは確かにある。でも、今は家族で一緒に暮らすほうをとろう。もし、息子が小児がんを発症したとしても現実を受け入れよう」と。

 

原発事故の後、小児がんを発症する人数は、増加するであろうことは分かっていました。ウクライナのデータを見たことがありましたので。

それも、高校生の時です。

私は漫画を描いていたので、10代の段階で一通りの書籍を読んでいた。なので福島第一原子力発電所事故のときも、独自の感覚で動いていたのです。

 

被ばくしたからと言って、直ちに死に直結するわけではない。

運が悪いと、白血病などになる それを、ただ、知っていただけです。

 

まさか、翌年に、本当に自分の息子が白血病を発症するとは思っていなかったのです。