底辺腐女子が地雷レッテル貼りをされてPTSDになった話

底辺腐女子がメンヘラになった話を書いています。

底辺腐女子が地雷レッテル貼りをされてPTSDになった話(4)

【このブログは、二次創作同人作家から突然、地雷レッテル貼りをされてイジメ行為を受け、まともな二次創作活動ができなくなってしまった、底辺の腐女子の訴えのブログです】

 

おはようございます。 今回は、チモッティーが産後、10年以上も何故、漫画を描くことが出来なかったのかを説明する回その2 です。

息子の白血病(T-ALL)についても書いていきますので、重たい話ですが、地雷レッテル貼りをされてPTSDになった背景でもありますので、ご一読いただけると、ありがたいです。

 

2011年、チモッティーは産後、1年半ほどで仕事に行きはじめて、すぐに東日本大震災の影響を受けました。

でも不幸中の幸い。 多くの親御さんたちもまた、震災の影響を受けて「子どもを保育園に預けるのをやめて自宅にいる」ことを選んだタイミングにうまくはまり、息子は認可保育園に入れてもらえました。

それも、しばらくプレハブだったのですが、すぐに新築のピカピカの素敵な保育園が完成。運営も評判がよく、今も市内で一番人気です。

 

なんとか育児をしながら2012年、夏を迎えます。

私自身が体調をくずし、仕事に行くのをいったん止めて保育園と相談している時期でした。8月、息子は日に焼けて真っ黒でした。私も夫も皮膚が丈夫なほうで、日焼けしたら真っ黒になるほうです。

でも、少々、元気がない。 夏バテかなと思いました。

 

8月の下旬、夫が息子の顔が、向かって左側・・・つまり本人から右半分、動いていないと言い出します。

私も、保育園の先生も、たまたま息子の左側から接触する頻度が高く、気付かなかったのです。言われてから、よくよく見ると、笑っても顔が右半分動いていない。

 

びっくりして、保育園の近くの内科クリニックにすぐに連れて行きました。

クリニックでは市立病院で詳しく見てもらいましょうと、金曜だったので、週明けに予約を入れてくれました。

 

でも、心配で。何か脳の病気だったら、どうしようと私は焦りました。

検索しまくって、どうやら耳鼻科が本来は相応しいようだ、週明けまで待たないで耳鼻科にも連れて行ってみようと翌日の土曜日に近所の耳鼻科に行きました。

 

耳鼻科の先生は、顔が半分、全く動いてないじゃないか!週明けなんてとんでもないと、すごい勢いで仰って、すぐに協同病院に予約を入れてくださり、午後には診察を受けることが出来ました。

 

診断結果は「まあ、ベル麻痺でしょう」ということでビタミン剤が処方されました。

息子は保育園で水疱瘡に罹患したことがあったためヘルペスウィルスによるベル麻痺と診断されたのです。

これは誤診でも何でもなく、小児には、よくある症状なのです。

私も診断を全く疑わなかった。2週間くらいで治るであろうと普通に過ごしました。

 

でも、息子は弱っていきました。

じょじょに、寝転がって遊ぶようになりました。真夏でしたから、体力が落ちているのかと思い、なかなか良くならないな、涼しくなれば良くなるかなと過ごしていました。

 

2012年 9月3日 息子は、とーちゃん と、何故か夜に私に言いました

様子がおかしかった。 もともと未熟児で食が細い子です。やつれて、一生懸命食べさせても食べさせても、あばらが浮いていて、7月までは夜は添い乳をまだしていました。3歳の子どもに、わざわざ授乳を継続する必要はないのですが、中耳炎になったり色々あり、夜だけ授乳を7月までしていたのです。

さすがに8月にやめたのですよね。

でも、止めたとたんに、さらに一気に細り始めた。

 

あの日、息子は飢えた子ども、餓鬼のような体形になってしまっていました。

あばらが浮いているのに、お腹が突き出てきたのです。

食が細いとはいえ、食べさせてはいるし保育園にも毎日通っている。

 

ベル麻痺の件もあり、体力が落ちているのだ と考えていましたが、

毎日毎日、何かがおかしい、何かがおかしいと思っていました。

 

とーちゃん、という息子を連れて、早めに駅まで夫を迎えに行き、

お腹が突き出てきて様子がおかしい息子を病院に連れていきたいと話し合い、

協同病院に電話をして、23時過ぎに小児科医の先生に診てもらいました。

 

最初にかかったときはベル麻痺の疑いのため耳鼻科でした。

なので血液検査をしていなかった。

 

深夜なので、若い小児科医の先生は「明日になってから血液検査をしますか?それとも、今しますか?」と聞いてくださったので、もう限界だった私は「今すぐ血液検査をしてください」と頼みました。

 

でも、特に異常はないだろうと思っていました。

体力が落ちているのだと思っていました。

 

血液検査のあと、一気に小児科の先生の気配が変わりました。

全く想像していなかったことを言われました。

 

「白血球の数が異常に多いです。白血病の可能性があり、急変し命にかかわる状態ですから、このまま入院していただき、また朝に大学病院に相談します」

 

何を言われたのか、よく分からなかった。

 

でも、若い小児科医の先生は丁寧に説明をしてくれました。

 

通常の正常値は4000~8400/μL程度であること。

息子の白血球数は、74000/μL以上であると。

 

それでも、私も夫も、何か感染症か何かがあって一時的に上昇しているのではないか、などと、思わずにいられなかった。

 

でも、こんな数値は白血病でもなければ有り得ないですよね。

医師はもう確信に至っていた。

体力がなく、寝転がって遊び、異常な数値が出ているのだから当たり前です。

 

呆然としたまま、まだ3歳の息子を協同病院に預け、帰宅しました。

翌日は大学病院に行くために夫は有休を申請。

素直に白血病の疑いと伝えたので、すんなり承諾されました。

 

翌朝、協同病院に行くと、ソフビ人形を貸してもらい、点滴をしているけれど楽しそうな息子が居て、少し安心しました。

私は、超合金もまだ1~2個しか与えておらず、あんなに嬉しそうならソフビ人形も買ってあげれば良かったなあと思いました。

知育玩具はそこそこ家にありましたが、保育園にも入れているし、タブレットなども触らせたことはありませんでした。

おもちゃの数は、普通に、ほどほどで十分だったのです。

 

協同病院の小児科医の先生は明らかに徹夜でした。

息子のために一睡もしていないのが丸わかりでした。申し訳ないけど、有難いなと思いました。

 

「朝に、院内の血液専門の先生と、血液細胞を確認しましたが正常な形をしていませんでした 鎌形赤血球が見えました、ほとんど正常な血液細胞が残っていません」

と告げられました。

 

私は動揺していて、実家が都内のため、都の医療センターに行ったほうがいいのではないかと、医師と話し合おうとしましたが、協同病院の目の前にある大学病院は、小児の造血細胞に関する専門の優秀な先生がいると言われて、一応、納得し、目の前の大学病院に連絡してもらい、すぐ連れて行きました。

 

一気に、色々な検査をしました。超音波、MRI、全てです。

 

そして、今も主治医である血液専門の小児科医の先生に告げられました。

 

「息子さんは、白血病です」

「小児急性リンパ性白血病(ALL)です また明日には、さらに詳しい検査結果が出ます」

 

夫は腰を抜かしました。

私は、認めたくなかったけれど、理解しました。

 

昨夜から診てくれた協同病院の若い小児科医の先生と、血液専門の先生、そして目の前の専門医。3人の医師が「白血病」と言っているのだから、それが事実なのだと理解しました。

 

頭で理屈は理解できましたが、気持ちは全く追いつかず、夫を支えながら大学病院の敷地内にあるスタバまで歩きました。

 

2人で

「明日になれば、間違いでしたって言ってもらえるかもしれない」

「でも3人の医師が、判断しているんだから白血病なんだよ」

と、グルグルと静かに話し合うしかなく。

 

何か食べなければ、飲まなければ、と言いながら、ラテしか飲まなかったですね。

 

子どもの入院用の物品をそろえたりするように動きましたが、

 

結局、翌朝もやっぱり私たちは

「間違いでしたって言ってもらえるかもしれない」

と、期待していたのでした。

 

私自身、2か月間は毎朝「夢だったんじゃないかな」と思いました。

 

のちに、白血病ママ友たちと話しましたが、皆さん一様に

「ドッキリかと思った」

「からかわれていると思った」

「間違いだと思った」

とおっしゃってました。 まさか自分の子が、そんな病気になると誰も予想しないからです。

 

小児白血病は、突然に発症します。

親類縁者に白血病の既往がある人が居なくてもです。

理由はほとんど断定できません。

 

理由を考えるよりも先に、生き延びることが優先になります。

とにかく、治療をするしかないのです。

治療しなければ、死んでしまうのだから。

 

長くなりますので、また続きます。 あと2回は息子の白血病の話になるかと思います。